2025年8月5日火曜日
エニタイムに通い始めて3ヶ月
2025年7月20日日曜日
2025年6月12日木曜日
ZWIFT退会そしてエニタイム入会
久しぶりの日記更新。ここしばらくの出来事を備忘録的に残しておきたい。
インソールを新しくしたことで、中足骨骨頭痛(モートン病)が多少改善され、その他の痛みもほぼ解消。まだ完全とは言えないものの、以前のようにランニングを楽しめる時間が戻りつつある。やはり痛みなく走れるのは、何よりありがたいと実感している。
走れないストレスを紛らわせるために再開したZWIFTだったが、今はやはりランニングへの意欲の方が上回ってきており、バイクに乗る機会が自然と減ってきたため退会することにした。
代わりに――というわけではないが、エニタイムフィットネスに入会。入会から約2ヶ月が経ち、今のところ週3〜4回のペースで通っている。家の近く、会社のそば、ランニング途中の店舗、茅野の店舗など、あらゆる場所にスマホ一つで入店できる手軽さがとても良い。
もともとヒルクライマーとして「痩せていること」をよしとしていたけれど、先日観た井上尚弥の世界戦の映像に影響され、ふと「上半身を少し鍛えてみようかな」という気持ちが芽生えた。至って単純な動機ではあるが、マラソンにとって必ずしもプラスではなくとも、マイナスにならない程度に筋肉をつけていくモードになっている。
それから何より嬉しいのは、アンジーが14歳を迎え、元気に穏やかな日々を過ごしていること。年齢を重ねても変わらず寄り添ってくれる姿に、日々癒されている。
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奥2頭が異父兄弟15歳、手前4頭が兄妹14歳 |
2025年4月7日月曜日
お花見ラン&散歩
10時過ぎに到着すると、すでに公園は花見客で大にぎわい。今年は特に外国人観光客が多い印象だ。快晴で気温も心地よく、これ以上ないお花見日和。そんな日に日本を訪れた彼らは、本当にラッキーだと思う。
人の多いエリアを避けて、公園の西口周辺を中心に軽くジョグ。そのまま帰路についたが、10kmを過ぎたあたりから中足骨に痛みが出始め、14kmで泣く泣く終了。少し落ち込む。
翌日はソールを変えて、再び代々木公園へ。同じコースを走ってみる。序盤にわずかな痛みはあったものの、15kmを気持ちよく走り切ることができた。母趾でしっかり体重を支える感覚があり、これがよかったのかもしれない。少しでも進歩を感じられるのはうれしい。
そして、アンジーも術後の回復は順調で、無事に抜糸も終わった。今は元気に散歩もこなしている。傷口を保護するために、synerzyのジャージを着せてお出かけ。歩く姿がなんとも愛らしくて、癒される。
2025年4月2日水曜日
ラン再始動&ZWIFT継続
理由は以前も書いたように、左足の中足骨骨頭痛と右足の足底腱膜炎がなかなか改善しなかったからだ。
休養のおかげで、足底腱膜炎の痛みは徐々に和らぎ、シコリは残っているものの、日常生活ではほぼ気にならないレベルになった。一方で、中足骨骨頭痛は走らなくても痛むことがあり、何らかの対策が必要だと感じている。
そこで、新しく見つけたスポーツコンディショニングの店でアドバイスをもらうことにした。
足指につながる筋肉を鍛えるエクササイズを取り入れながら、慎重にランニングを再開する方針だ。
まずは5kmからスタートし、足底腱膜炎の悪化がないか確認。
中足骨骨頭痛の方は、そもそも一定距離を走らないと痛みが出ないため、まだ本格的な判断はできない。ただ、10kmほどの距離なら問題なさそうだ。
とはいえ、急にランニングばかりに頼るのもリスクがある。そこで、心肺機能の維持はZWIFで補っている。最近は、ワトピアにある "Oh Hill No" という約3kmのヒルリピートコースをよく利用している。このコースは、まるで不動峠のリピート練習を思い出させるようで、自然と気持ちが入りやすい。
しばらくは、ランとZWIFTをうまく組み合わせながら、無理のない範囲でトレーニングを続けていきたい。
2025年3月22日土曜日
アンジー手術
アンジーが先日体調を崩した際、次女の勤める動物病院に連れて行った。
診察の結果、娘が左前足の付け根にしこりを発見し、すぐに組織を生検に出した。検査の結果、腫瘍の可能性が高いとの診断が下り、手術をするかどうか判断しなければならなかった。高齢のため迷ったが、体力的には手術に耐えられそうであり、術後も歩行に支障は出ない見込みだった。さらに、娘も手術を受けさせたいという意向を示していたため、決断することにした。
現在の娘にはまだ手術を執刀する技術がないため、信頼できるベテランの先生にお願いした。腫瘍は3cmほどだったが、筋膜も切除したため、傷口は15cmに及んだ。
術後、食欲が低下するかもしれないと言われていたが、アンジーは予想に反してガツガツと食事をとった。また、すぐに歩き始めたことからも痛みに強いことがうかがえた。以前受けた前十字靭帯の手術時よりも、痛みは少なそうだった。
入院はせず、すぐに自宅へ連れて帰った。幸い、娘が診てくれるので安心だった。しかし、手術当日は痛みと興奮のためかほとんど眠れず、付き添っていた妻も一睡もできずに大変だったことだろう。朝方、ボクがアンジーを抱きかかえるとようやく眠りに落ち、そのまま膝の上で2時間ほど眠った。
翌日、病院で点滴を外してもらい、自力で歩けるようになった。3日後には普段通りの生活ができるようになったものの、まだ散歩は難しいため、カートに乗せて外へ連れ出した。
手術の決断は簡単ではなかったが、経過が順調で安心した。これからもアンジーが元気に過ごせるよう、しっかりと見守っていきたい。
2025年3月2日日曜日
復帰ライドは三浦半島で
ランに転向してから、自転車で外を走るのはおそらく2022年の11月以来。実に2年以上のブランクがあるため、ちゃんと真っ直ぐ走れるか不安でいっぱいだった。
自宅から横浜方面へ自走するのは少々怖かったので、Iさんと共に本牧まで車で移動。そこから産業道路を通って横須賀方面へ向かう。自転車のポジションはZWIFTで慣れ親しんだバイクと同じなので、全く違和感がない。3月初めにしては暖かく、夏用インナーに長袖ジャージでちょうど良い。風もなく、絶好のライド日和だった。
横須賀を過ぎると海が見えてきて、一気にテンションが上がる。やっぱりサイクリングは気持ち良い!と二人で話しながら、のんびりと走った。観音崎を過ぎると車の数も減り、昔から変わらない漁港の景色が広がる。その風景を眺めながらのライドは、言葉では言い尽くせないほどの心地よさだった。
そこから新規開拓ルートとして丘を登ることに。道の先には、キャベツや三浦大根の畑が広がり、これまた素晴らしい景色が広がっていた。自転車でここまで来たからこそ味わえる感動だと思う。
当初は鎌倉方面まで足を伸ばす予定だったが、車が多く混雑していそうだったため、湘南国際村を登り、横須賀方面へ抜けるルートで戻ることにした。114km,獲得高度1060mのライドを、サイクルコンピューターを使わず、ガーミンウォッチで計測。途中はデータを確認せず、感覚だけを頼りに、僕が先頭を固定して走った。
今回のライドを終えて、自転車をやめなくて本当に良かったと実感。遠くまで足を伸ばし、冒険気分を味わえるし、スピード感と操縦する楽しさは格別だ。ランとの出会いも貴重なものだし、これからは両方を欲張って頑張っていきたい。とはいえランは復帰の目処が全く立っていないのだけれど。
2025年2月26日水曜日
Di2の充電ができない
ガレージ内とはいえ、外気温が-15度近くになる環境のせいで冷えすぎているのかもしれないと思い、室内でしばらく温めてから再度試みた。しかし、それでもダメ。
困ったときの頼みの綱、久しぶりにH本君に連絡して対処法を尋ねた。いつもトラブルのときばかり質問して申し訳ない。
「バッテリーコードが外れていませんか?」
なるほど、その可能性は考えていなかった。早速シートポストを抜いて確認し、写真を撮って送ってみる。
「真ん中にもう一本ケーブルがあるはずですが。」
言われた通り中を探ってみると……あった!
慎重に接続し直して再度試すと、無事ランプが点灯。よかった。本当にありがとうございます。
とはいえ、まだ八ヶ岳で乗るには寒すぎる。まずは東京で外乗りしてみようか。久しぶりに外を走ることを想像すると、なんだかワクワクしてきた。ウェアもだいぶ処分してしまったし、新調するのもいいかもしれないな。
2025年2月10日月曜日
ダイヤモンド富士
「2月9日にこの部屋からダイヤモンド富士が見られるのよ。楽しみだわ。」 母はそう言っていた。
その夕陽を眺めるために、家族と姉親子とともに母の家を訪れた。しかし、その母はもういない。1月2日、家族で母に会いに行き、みんなで楽しく話をしながら、夕陽を眺めたのが最後となった。その日の夜、母は突然旅立ってしまったのだ。あんなに元気だったのに。
悲しみに暮れている中、今度は妻の母が詐欺に遭ったことが発覚。ほぼ全財産を失ってしまったという。さらに、愛犬アンジーが原因不明の高熱に襲われ、震えが止まらなくなり、急いで病院へ。とりあえずステロイドで様子を見ているが、まだ安心はできない。1月は、あまりにも多くの出来事がありすぎた。
ランニングについても、1年半にわたり治らない左足の中足骨骨頭痛に加え、右足の足底腱膜炎が2ヶ月以上続き、歩くのも痛むほどになってしまった。さすがにこれでは続けられないと判断し、しばらくランニングから離れることにした。
そこで、久しぶりにZWIFTを再開。おそらく1年ぶりくらいだろうか。今年は春になったら、久々に実走しようと思っている。